<ケース3>
ケース.3の場合は親が、境界性人格障害やアダルトチルドレン(AC)などの心に傷や障害も持った場合のパターンです。 障害をもった親が全てこのようになるとは言えませんが、確立はグンとあがります。 親そのものの人格がうまく形成されておらず、親自身が愛すること 愛されること 理解されること そして 見捨てられないこと に執着している場合、自分が子供を持てば、今まで他人に向かっていた依存心を子供にも強烈な二者関係を望むようになります。感覚としては、 子供 = 自分の物 ということになります。 自分の考えていること = 子供も同じように考えている とならないと、とにかく気が済みません。 赤ちゃんの頃から自分のもとを離れることを良しとせずに、常に自分の味方のような態度を求めます。 子供に対しては、相手の望むこと、果ては望む以上の愛情を注ぎ、その代わり相手にも自分が注いだ以上の愛情を求めます。
親(母親)であることに強烈に依存し、 親自身が、子供が自分から離れていくこと(見捨てられ不安)が恐怖そのものなので、環境、状況、立場を使い子供が離れていかないように(離れられないように)全力を尽くします。 子供に恋愛のパートナーが居るような気配を察すると、全力で阻害し相手をののしります。 (自分を愛してくれる物を取り上げられたくない) ここで親の猛攻を振り切れるような子供ならまだいいのですが、今までの養育環境で親を裏切ることができないと学習してしまった子供は自立できず、常に親を優先的に考えるようになります。 親にとっては、うまい具合に共依存の状態を作り出せていますが、やはり子供の心の中は空っぽで、空虚感に襲われ友人や周囲、そして特に恋愛のパートナーには、まるで自分たち親子のような共依存の関係を求め、自分が孤独感や空虚感にさいなまれている心を、全て相手の愛情で満たそうとします。 相手が応じない場合は、上記症状を発動し周囲を巻き込んででも、目的を達成しようとします。 <ケース4>
ケース.1〜.3までは、親の愛情は良かれ悪かれあり、過剰であったり自己中心的であったケースですがケース.4では、親の愛情が全く無く、文字通り愛されてこなかったケースです。
幼い子供にとっては、親は言わば神のような権限も持っています。
子供は、親を疑うことなく信じきって産まれてきます。 子供は毎日の生活環境の中で、常に親の機嫌で生命の危険が脅かされる恐怖に陥ります。 有名な話で、ベトナム戦争の帰還兵が軒並みPTSD(心的外傷後ストレス障害) を発症したという話は、よく知られています。 成人してなおかつ、訓練を受けた兵士ですら心を病み深く傷つくのです。
無力な子供にとっては、毎日の生活がまさに、生きるか死ぬかの戦場となり得てしまいます。
ですが、実際にこのような経験をしてきた方たちと、私は今まで多く話をしてきました。 この方たちは、PTSD、境界性人格障害、他にも様々なものを発症しています。 幼少期に、自分の個性を持つことも得られず、ただ相手が怒らない受け答えに特化した人格を形成します。 成長するにしたがって、感情表現を暴力であらわしたり、慢性的に人を信じられなくなったり、無感情、人生の希望も持てず、損得のみでものを考え、ただ目の前にある欲求を満たすような人格に成長してしまいます。 愛情や、優しさ、思いやりをうまく表現できずに、心の中は空虚感で常に乾いている。 そして、愛情をくれるものを激しく求めます。
乾ききった砂漠に、水をたらすように少しの愛情では渇きを癒せず、底なしに相手に依存し、 |